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日記11_21

 今月は仕事が一段落して、"やれやれ・・・、ひととき身体も心も解放して次に向かいましょう"。なんて思ったのもつかの間、大忙しの「友好月間」になりました。立続けにニューヨークから友人達が帰国して
お食事会のスケジュールが立て込む中、高校時代の同期会やら町内会の池田聡君夫妻との恒例「美食会」、斉藤ノブさん(ノブちゃん)の誕生日、お馴染みのお店の新規開店の会、お世話になった方の御家族との食事会等々。空いている日を次々と埋めて行ったらほとんど、お食事会で埋まってしまいました。12月のディナーショーが頭をかすめつつやっぱり、飲めや歌え(?)じゃなくて飲むわ、食べるわ・・・衣装が着られるのでしょうか?。そんな心配をよそに既に、3週間たちました。ちょっと胃腸も疲れ気味かも・・・?。でも久しぶりにいろんな人と集うのはやっぱり楽しい。職種の違う人達と会うと生活観や人生観の微妙な違いや、仕事上の悩みや大変さなどの違いを知り、まして海外に住む友人達などからは日本がどう映っているのか垣間見る事が出来ます。同級生達と会った時など、いきなり高校時代にタイムスリップして女学生の気分ではしゃいでしまいました。"友達はいい・・・"そんな事を思いつつ、メールチェックもそこそこに日を送ってしまいました。日記を更新するように編集長からも催促されていたのですが、なかなか落ち着いてパソコンに向かえません。メールに追い掛けられるように返事を書き、やっと今日こうして向かっています。昔からのファンの方や、サックスの後藤さんからもとうとう更新の催促が来てしまいました。
 
 昨日はニューヨークでお世話になった「私のN.Yの母」と呼んでる女性とその姪など、数人でお食事をしました。かれこれ15、6年の付き合いで身内のような感覚もあります。彼女は毎年一度は帰国するので、その度に会っては最近のニューヨークの情報を聞かせてもらっています。9月の事件以後、まだ街には静寂は戻らないと話してました。住まいはMID TOWN のイーストサイド、国連のそばのアパートにいるので警備は厳重だけど出入りが不便だということでした。もうひと組の友人夫妻はもっと緊迫していて、住まいがSOHOの近くで窓からあの、World Trade Center が見えたそうです。もちろん今はその形もなくまだ瓦礫がつまれていると。あの炎と煙りが吹き出し、紙が舞っていた光景は未だに信じられないとショッキングな体験を話してくれました。彼等はもうニューヨークに戻りましたが、何と!、御主人が3日遅れで戻ったのがニ度目の飛行機事故の日で、ボストンに着陸した便に乗っていたそうです。ニューヨーク上空あと、10分ほどで着陸体制か・・と言う時に機長からのアナウンスで事故の事を知ったそうです。ニューヨークの上空をゆっくり迂回してボストンに向かったということでした。機内の人々はその時どんな思いでいたのでしょう。ひょっとして・・・と思っていた矢先にメールで知らせて来ました。今さらながらあの、テロによる飛行機事故の惨さを思い知らされました。時とともに悪夢も薄れがちですが今もまだ、アフガニスタンでは日々命を落としている現実があるという事を心に刻まなければなりません。とは言いながら生きるための毎日の生活は続いて行くのです。せめて、どんな不遜な出来事に遭遇しても悔いはないと言う生き方をしていたいと思うのみです。明日私はテレビの仕事で北海道へ行きます。飛行機に乗る事に不安はありません。ひとつひとつの仕事を無事にやり遂げて足跡を刻む事に集中したいと思います。今ニューヨークの人々は、より元気に生活しようとしているそうです。この前向きな姿勢と強さには大いに感動し、見習いたいと思うばかりです。

 今日はこれまで会った人達との交流から、私の中に芽生えたさまざまな思いを綴ってみました。常に希望をもち続ける'強さ'を私も忘れないようにしたいものです。